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広島家庭裁判所 昭和60年(家)1564号 審判

申立人 今泉礼子

相手方 橋本好子

被相続人 大原竜之助

主文

本件遺産分割の申立及び寄与分を定める処分の申立を却下する。

理由

第1当事者の主張

1  申立人の主張

(1)  遺産分割

被相続人は交通事故で死亡し、相続が開始し、相続人は2女申立人及び3女相手方の2人であり、遺産の範囲は別紙目録に記載のとおりである。申立人と相手方との間で遺産分割の協議が調わないので遺産の分割を求める。

(2)  寄与分を定める処分

被相続人は、昭和21年合湾から郷里の鹿児島県へ親子5人で帰つて来た引揚者であり、しかも、長女の保子が病身であり、加えて、被相続人の妻ナミエも昭和50年初めころから半身不随となり、貧乏な生活に追われていた。そこで、申立人は、被相続人の要請により、昭和40年秋ころ建物建築資金として50万円を提供したのを初めとして、その後、被相続人の死亡に至るまでの間に、合計505万8600円を被相続人一家の生活費又は医療費等として被相続人に対して提供した。又、申立人は,被相続人の療養看護にも努めた。このようにして,申立人は,被相続人の財産の維持,増加のために特別の寄与をしているので,申立人につき叙上金額と同額の寄与分が認められるべきである。

2  相手方の主張

(1)  被相続人死亡直後,葬儀に参列した申立人,相手方及び親族中の有力な人達が集つた席で,被相続人亡きあとの植物人間のような状態である妻ナミエ及び精神病である長女保子の今後をどうするかという問題が協議された。その席上,被相続人の所有財産と交通事故死による損害賠償保険金との全遺産を,ナミエ及び保子の扶養をすることを条件として申立人に取得させるとの案が出された。これに対し,申立人は,病身であることを理由にこの提案を拒否した。

しかしながら,このまま放置できる問題ではないので,相手方に全遺産を取得させてナミエ及び保子の面倒をみてもらうということになり,相手方としても申立人が引受けないので,止むなくこれを受諾した。

(2)  その後,ナミエ及び保子は相次いで死亡したが,申立人と相手方とは,昭和59年8月15日及び同年9月29日ころの2回にわたる親族中の有力者を交えて協議した席上で,被相続人の遺産である不動産については,建物及びその敷地を申立人が取得し,その余の山林,畑などは相手方が取得する,交通事故の損害賠償保険金約1700万円については,諸費用を差引いたうえ申立人が660万円を取得し,その余を相手方が取得するという内容の遺産分割協議を成立させた。このようにして,終局的には,相手方は第1回の親族間の話合いで決めたものより多くのものを申立人に取得させたわけである。そして,これらのうち不動産については既に登記手続も完了しており,又,保険金についてはそのうち660万円を相手方に交付ずみである。

以上の次第であるから、被相続人の遺産分割については、相続人である申立人と相手方との間において既に分割協議が全面的かつ確定的に成立しており、その履行手続まで完了している実状である。

第2当裁判所の判断

1  本件記録添付の被相続人の原戸籍謄本及び除籍謄本並びに今泉明及び橋本利光の各戸籍謄本によると、被相続人は昭和58年10月4日鹿児島市で死亡し相続が開始し、その相続人としては妻ナミエ、長女保子、2女申立人、3女相手方の4人であつたが、ナミエは昭和59年1月13日、保子は同年9月25日それぞれ死亡し、現在申立人及び相手方の2人が相続人として残つていることが認められる。それ故、申立人及び相手方の法定相続分は各2分の1である。

2  本件記録(遺産分割事件)添付の登記簿謄本6通、申立人及び相手方作成の証明書写各3通、日本火災海上保険株式会社○○支店作成の証明書(C1号証)、会計報告書(C2号証)、医師○○○作成の診断書(C3号証)、上堀田貞一作成の書簡(昭和60年7月25日受附の分)並びに当裁判所の申立人、相手方(2回)、参考人増田勝男、同増田クキ、同今泉ヨシ子、同上堀田正一、同今泉明(一部)及び同橋本利光各審問の結果によると、次の事実が認められる。

(1)  被相続人の葬儀が昭和59年10月6日被相続人の肩書最後の住所で行われたが、申立人夫婦、相手方夫婦及び被相続人の親族中の重立つた人人が、その翌日同所に集つて、被相続人亡き後の前原家の後継ぎを誰にするかという問題について話し合いを行つた。当時、被相続人の妻ナミエは病気で植物人間に近い状態であり、又、長女保子は精神病で入院中であつた。その席上で、親族の人人の中から、申立人が被相続人の2女であるので、大原家の後継ぎとなりナミエ、保子及び大原家の今後の面倒をみるべきであるとの意見が出されたが、申立人及びその夫の今泉明は、申立人自身病身であることを理由としてこれを拒絶し、前原家の後の面倒をみない代わりに財産も一切もらわない旨明言した。しかしながら、このまま放置できる問題でもないので、更に親族の中から3女である相手方が大原家の後を継ぎ、ナミエ、保子及び大原家の今後の面倒をみるべきであるとの意見が出され、相手方もこれを承諾した。

(2)  その後、ナミエが昭和59年1月13日、保子が9月25日と相次いで死亡したが、相手方は、前叙の話し合いで決定したところに従つて、ナミエ及び保子の生前の看病及び死後の葬儀、法要等を取り行い、かつ、大原家の一切の面倒をみてきた。その間、同年8月15日申立人、相手方及び親族の人人らが被相続人の遺産分割について話し合つたことがあつたが、その時は、いまだ最終的結論を出すに至らなかつた。

(3)  被相続人の遺産としては、別紙目録記載の1ないし6の不動産、自動車損害賠償責任保険金1624万円0780円から治療費等を控除した死亡による損害分1619万円、本籍地役場の交通事故保険金100万円、加害者からの慰藉料50万円、預金20ないし30万円及び現金等5万円位があつた。

(4)  そして、申立人及び相手方は、同年9月27日親族中の重立つた人人を交えて、遺産分割につき話し合いを行つた。その結果、不動産については、相手方が別紙目録記載の1の宅地及び6の建物を取得し、申立人が同2ないし5の畑、山林及び原野を取得する、前叙保険金等を含む預貯金及び現金については、当時諸費用を控除して残額約1400万円あつたが、申立人がそのうち660万円を取得し、その余を相手方が取得するとの話し合いが成立し、申立人夫婦、相手方夫婦とも異議なくこれを承諾した。そして、この結論は、申立人の被相続人に対するこれまでの送金等による寄与貢献(金額の点はともかく、被相続人の財産の維持につき申立人の寄与貢献があつたことは事実である。)、相手方の大原家の後継人としての、ナミエや保子に対する世話等のこれまでの尽力及び今後行うべき先祖の祭祀その他の負担等を充分考慮検討したうえで、互いの法定相続分が2分1ずつであることを基本線として、相手方に少し有利になるようにとの配慮を加えて出されたものである。

(5)  そこで、申立人の夫である今泉明と相手方の夫である橋本利光とは、そのころ、永田という司法書士の事務所に同道して赴き、叙上の話し合いの結果に基づいて登記手続を依頼した。その結果、現在、別紙目録記載の1の宅地については相手方名義に、2ないし5の各土地については申立人名義に、いずれも同年10月1日受付で相続登記がなされている。ただ、6の建物についてはいまだ相続登記がなされていないが、その理由は、橋本利光が土地の所有権移転登記手続を依頼すれば、その地上にある建物についても当然移転登記の効力が及ぶものと誤解していたためであるか、あるいは、同建物の登記名義が前所有者である上堀田貞一のままになつていて、被相続人名義に変わつていなかつたため移転登記手続ができなかつたものではないかと考えられる。又、相手方は、叙上話し合いの2、3日後に申立人に対し申立人が取得することになつた660万円の内金350万円を送金し、相手方はこれを受領した。なお、残りの310万円については、申立人は既にこの時までに遺産の一部分割の形で受領していた。そして、申立人と相手方とは、そのころ、被相続人所有の家具や衣類等についても協議して処分を完了した。

3  叙上の事実関係に照らすと、申立人と相手方との間には被相続人の遺産の分割協議が、昭和59年9月27日ころの親族の人人を交えた話し合いの席上において、全面的かつ最終的に成立したものというべきである。又、その遺産分割の協議に際しては、申立人の被相続人に対する送金その他による相続財産の維持増加についての一切の寄与貢献も、充分考慮検討されて結論が出されたものであるから、申立人の寄与分を定める協議も同時に成立しているものといつて良い。

そうすると、申立人としては、重ねて遺産分割及び寄与分を定める処分の審判申立をすることは許されないから、申立人の本件各申立をいずれも不適法として却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 武波保男)

別紙目録〈省略〉

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